楽隊ブラスレンジャー結成10周年記念NOV隊長ロングインタビュー |
楽隊ブラスレンジャーは、1993年に結成されてから、10周年を迎えるに至っています。
10周年企画第1段は、10年間隊長としてブラスレンジャーを仕切ってきたNOV氏に、過去10年の思い出と、今後のブラスレンジャーを語ってもらうことにしました。そりゃもう早かったね。 生活の中心がブラスレンジャー(以下 BR)だったからね。 とんでもない! 最初はオリジナルの曲なんて無いからね。 市販のジャズや歌謡曲の楽譜ばかり演奏していました。 僕は学生の頃、吹奏楽部でトランペットとチューバをやってたんだけれど、社会人になってから一般の吹奏楽団を渡り歩いていたんだ。 そこで感じたんだけれど、与えられた楽譜を言われるがままに演奏するのがつまらなくなったんだ。 何か物足りなくなってね。 それでいっそのこと「自分でバンド創っちゃえ」ってことになった。 そう!でもここからよ。苦しいのは…。
僕は特撮ヒーローが好きだから、1つのことをみんなで力をあわせるのはナントカレンジャーってイメージを持っているのね。音楽も同じで、1つの曲をいろいろな楽器がそれぞれ演奏して1つの形としてまとめていく。 バンドもナントカレンジャーと一緒なんだよ、ってことで、僕はブラスセクション出身だからBRになったんだ。 最初に決まったのはBRって名前なんだよ。 でも名前だけ決まってもメンバーは? 練習場所は? 演奏する曲は? 方向性は? 次々と問題が出てくる…。 とりあえず集まりそうな友達集めて、たまたま一般バンドやっていた頃使っていた練習場所を確保して、1曲作って1993年2月20日に練習開始!となった。 もともと自分でバンドをやる以上、オリジナル曲をやりたかった。 でも難しかった。 作曲なんてほとんど始めてだし、ほとんど訳わからなかったし、とにかくショボイ曲になっちゃった。 それでいつのまにかボツっちゃってね。 スイングとか歌謡曲とかの市販の楽譜中心になった。 結成して半年位かな? 近所の幼稚園で園児相手にスイングやったような記憶があります。 先輩のツテで共同作業所のイベントで演奏するようになってから福祉関係の団体からひっぱりダコになっちゃって、バンドも軌道に乗ってきた。 友人の結婚式にもバンド一同引き連れていったっけ…。 1994年に平安建都1200年記念で京都まつりが始まって、それに出演したのがきっかけで市や府のイベントに出るようになったんだ。 ちょうどその頃「ゆめっと京都」や「長岡京市文化協会」に加盟してね、その筋ではちょっとブレイクしたんだよ。 これはびっくりしたね。 もともとこの曲は、福祉関係団体からの依頼での演奏が多かった頃に、「歌物を何か作ろう」ってことでできた歌なのよ。 だから「元気でいこう」。 でも、歌詞は健康に注意しましょうって詩じゃないけどね。
ゆめっと京都のイベントで歌ったら、団体の人から「私たちのテーマソングにしたい」ってことでOKしたら、早速イベントのラジオCMで使われて…。でも演奏はBRじゃなくて機械だったけどね。 ちょうどどこかで演奏した帰りに車の中でラジオ聞いていたら、「元気でいこう」が流れてきて。 他の車に乗っていた隊員に「今ラジオ聞いてた?」って、携帯かけまくったなあ。 1度演奏すると、また次も呼んでもらえるようになってね。 更に横の繋がりで「うちでも演奏してくれ」ってのがすごく増えて、うれしいけどしんどかった。 1日2か所で演奏とか、カレンダーの赤い日は全部演奏で塞がってるとかあったもんね。 演奏回数はその頃がピークだったね。年間20回以上演奏していたもんね。 こういうバンドにしてはかなり忙しかった。 でもやっぱり不景気の影響かな? だんだんリピーターが減ってきた。 市町村単位のイベントもかなり無くなってきているみたいで…。 街中でのイベントが減ったからという訳じゃないけど、あちらの方は、もともとバンドの絶対数が少ないので結成当初から売り込みをしたいと考えていたんだ。 ゆめっと京都の方に相談して、福知山の小学校での演奏が実現した。 あの時は感動したね。 小学校の金管バンドの子供たちと一緒に演奏したりして…。 地元の新聞に載っていたらしいよ。僕の手元には残念ながら無いけどね。 福知山では計3回演奏したかな…。あと川西の小学校も行ったっけ。 BRのホームページを見たってPTAの方から依頼を受けてね。 本当に歓迎していただきました。 これは僕自身BRにピリオドを打ってもいい位の夢が叶ったと言っても過言ではないね。 僕は海が大好きで、夏の休みの日は必ずといっていいほど海で過ごしているのよ。 青い空、青い海、白い波、白い砂浜を見ていると「あー、こんなところで演奏すると最高だろうな」っていつも思っていたのよ。 で、ある日いつもの海へ行ったらちょうど海開きのイベントをやっていて、演奏のチャンスを見つけたの。 それでいつも行ってる海の家の方たちに相談して2001年にシーサイドライブが実現したんだよ。 そうそう。 2001年に演奏したからまた「今年もやってくれ」ってことになって。って言うか「今年もやらせてもらうよ」ってこちらからまた売り込みかけてね。 僕もすごく思い入れのある場所だから、地元の人やイベントのスタッフの方たちに「自分たちのテーマソングだ」って歌を作りたかった。 この曲を作ってゴールデンウイークがブッ潰れたけど、納得のいく曲ができたので良かったよ。 まだこの歌の反応はないけど、永く歌い続けて神崎海水浴場の公式テーマソングにしたいと思います。 僕の中では15周年、20周年を迎えようとは考えていないよ。 僕はいつも思うんだけど、BRという名前は永久に不滅だったとしても、隊員は永久に不滅であってはいけないんだよ。
やっぱり年齢を重ねていくのは宿命であって、年齢と共に技術面や精神面で限界を感じる時が必ず来るの。その時にスッと身を引いて、次の若い世代にバトンタッチしたいね。 最近思うけど、継続は力じゃないんだよ。 限りがあるから山や谷があり、華や光がある。 悲しい話みたいだけど素敵なことだと感じるよ。 でも、今こうして隊長をやってるわけだから、もっともっとBRを大きくしていきたいね。 ライブハウスとかでもやりたいし、学校の体育館ツアーもやりたいし。 結成当初の僕の目標だったんだけど、大人には光を、子供にはロマンを与えるバンドにしたいな。 最近、社会情勢上仕方ないかもしれないけど、目の死んだ大人が多いのよ。 BRも社会人がほとんどだけれど、こうして人様から拍手を頂けるようなことをやってるし、ちょっと工夫したら華のある人生が必ず開けるのよ。 大人たちには演奏を通じてこれを伝えていきたい。 子供たちには僕らが演奏することが楽器を持つきっかけになって欲しい。 「小さい時BRというバンドをみて楽器を始めました」って子供がいたら最高だよね。 BRがその子の人生の核のひとつになるんだから…。 僕も「今夜は最高」って番組でタモリさんがトランペットを吹いてるのを見て始めたからね。 HPを見て隊員になりたいとか、練習を見学したいとかね。最近そういうメールを頂けるようになりました。 ほんとにうれしいよね。 練習は隊員一同が素顔でやってるからちょっとはずかしいから、やっぱりまずステージを見て欲しいよね。 その感想や意見、要望をメールや掲示板で聞かせて欲しいな。 「今度どこどこでこんなイベントがあるからテーマソングを作って欲しい」とか「BRそんなことしてちゃダメだよ」とかでもいいじゃない。 聴いてくださる方たちともっと接点が欲しいね。 とにかく演奏する機会を与えてくださる人があってのBRだから、いろんな意見を聞きたいな。 それを参考にしてギリギリ限界まで踏ん張っていきたいと思います。 こうして10周年を迎えられるのは、BRの隊員だけの努力ではないということを、隊員一同、理解しているはずです。
人前で演奏することもなく、練習だけで10年なんて絶対できっこないからね。だから、今。みなさんにたった一言「ありがとう」。 これ以上はないね。 2003年2月20日、満10歳を迎える楽隊ブラスレンジャー。 その先に待ち受けるのは光か? 闇か?。 楽隊ブラスレンジャーは今日も演奏し続ける。正義と平和と愛のために…。 (2002年7月28日 京都府舞鶴市神崎海水浴場にて) |